それ、科学的に証明されてる?【 主観と客観】疑似科学

スポンサードリンク

Facebook にシェア
このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

我々はよほど変わった環境で育たない限り似たり寄ったりの教育を受けて育っています。そしてその中で科学的に証明されているものは正しくて証明できないものは正しくないといった認識をもってしまっている可能性があります。

この辺りの話は実は結構デリケ~トで、じゃぁ科学的ってどういうこと?科学と疑似科学の境目はどこ?科学って定義できるの?とかどんどん深みにはまっていくのでさらぁ~~っといきます。辞書で【科学】と引くと「体系化された知識や経験の総称。科学的方法に基づいた学問」というように出てきます。世間一般の考え方としては対象とする領域について客観的に体系化されて説明できるという事ではないでしょうか。

科学哲学者のカールポパーは

科学は実験(客観的なデータ)でもって「反証」(繰り返し同じデータが取れる)できなければならない⇒再現性があるかどうか?

と言っています。この考えは多くの人が「そうそう」とうなずいてもらえるんじゃないかなぁと思っていますし、もろをもそう思います。

世の中で自分的(個人的)に新しいものに出会った時、そしてそれに対して少なからず疑問を抱いている時には質問をします「それ、科学的に証明されてるの?」って。実際、自分が知らなかったと言うだけで上記の過程を経て証明されているものもあれば特にされているわけでもないけれどまかり通っている物、何となく信じられている物など様々なパターンの疑似科学はたくさんありますね!?

この質問をするという事は自らの考えの中で科学的に証明されている物=安心・正しいといった印象を持っているからでしょうけれど、その安心の基準って実はあいまいな気がしませんか?何にも実験的なデータがないものよりはデータがあり裏付けされたものの方がもちろん安心でしょうけれど。

薬とサプリメントを例にすると、薬に関してはまさにこの科学的な証明方法に則って作られています。だからと言って世の中に出ている薬が完璧に効くという事ではありません。

【実験的、統計的に有効性があり、安全性がある】という意味です。これに対してサプリメントではここでいう科学的(客観的データの反証)という手法がなかなかとれない(予算も莫大にかかるしデータを取るための条件を整えるのが大変!などの障壁を越えられない)ので主観的なデータ(←データというか感想?)を使っている事が多いです。

良く見かけると思いますが「〇〇さんがこれを飲んだら元気になった!*あくまでも個人的な感想です。」的な。これはここに書いてある通り元気になった人の主観です。

この主観がたくさんあると自分も元気になるのではないか?と思うことで商品が売れるのですが元気になる根拠となる客観的なデータがあるわけではないのです。そもそも元気になるってどこから?元気は気から??

この「主観的な実感」は自分自身を含め自分の身の回りの人で起こるとより一層信用が高まります。自分の家族、近しい友達がこれを飲んだらとても良くなった!という経験は、日本で多くの人がこれを飲んで良くなったというデータ的広告よりもなんだかとっても現実味があるように思えちゃうのです。たとえ自分の家族友達以外の全ての人が良くならなかったとしても。だから有名人なんかが宣伝すれば、それはある意味自分にとっては身近な人(認識があるという意味で)なので広告に使われるわけです。

身の回りで起きた効果>>科学的データになってしまう事がある。

じゃぁ正しくないのか?っていえば元気になった人がいるっていうんだからそれはそれで正しいんでしょう(笑)ただ、数値的に何パーセントの人がという事を言えませんよね!?客観的な保証はないですよね!?っていうだけで。←そこが大事なんですけど。

目の前で起きている事が世の中の全てではないのに、どうしても自分が経験したものは過大評価して世の中はそういうもんだ!って思ってしまっている。もっともっと俯瞰的な視野で物事を観察すると随分と違った世界で物事を見ていけるのではないか?と思います。

実際、効き目があるかわからないものを効果あり!と思って飲んだり食べたりしてませんか?

こっそりもろをはしてます(笑)

気の持ちようで元気になります!科学的じゃぁないけれど。。。

つづく

Facebook にシェア
このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

スポンサードリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る