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偶然の意思決定

2018/07/15

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意思決定

何かの創造活動をするとき、独立して自分の会社を持つといった大きな事柄、また資格試験を受ける、どこかに旅行に行く、といった計画を立てるなど、あることをやろうとするか?それともやめるのか?という意思決定は非常に重要。

 

何事もただぼんやりと偶然的にすべてが解決するというのが人生ではない。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるとおり、まず人事を尽くさなければ待っていても仕方がない(^^;。

 

ここでの「人事を尽くして天命を待つ」の意味は目標に向かってやることをやっていれば自然と周りの環境が整って来たり何か見えない法則性がその努力を活かしてくれるという意味あいだからだ。

 

 

時にはこの「やるのか?やらないのか?」という決断がその後の人生に大きく左右する事がある。そういった一大決心の時、みなさんはどのように決断しますか?

 

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未来のある時間をイメージしてそこを着地点におき、現在にまで時間軸をさかのぼって予定を立てて決断する。これは仕事において標準的に行われている事で段取りと言われています。「段取り八分」という言葉があることからも、とても大切なプロセスではある事は理解できるものの慣れていない人にとってはとても骨の折れる作業、逆になれている人にとっては当たり前にこなす作業であるかも知れません。

 

しかし、日頃の決断の中でなんか今日は車じゃなく電車の気分、ふと「たまにはこっちの道を帰ってみるかな?」など「なんとなく」で決定している事も多くあるのではないでしょうか?日常の小さなことであればそんなに気にならなかったとしても仕事上の大きな決定となると「ただ何となく決める」という事には大変な抵抗があると思います。

 

この「なんとなく」選ぶという行為が、嫌な気持ちから生れたのか?・良い気持ちから生れたのか?そもそも自分の感情とは関係のない所で生まれたのか?わからないけれども、結果それが自分にとって有益だった!なんてこともあります。

時にはこの「なんとなく」という感覚によって選択された事柄が、何ら因果関係のない事象と似通っていたという事が起きます。これは別記事に書いた「共時性」という現象です。人によってはこの共時性というものを一つの予知として活用できるのではないか?という人もいれば、また一方では共時性はあくまでも偶然起きた結果を後から見ているだけで活用する事は出来ないのではないか?という考察をする人もいます。

 

このどちらの考察が正しいのか?マジメに問題を提起しておいて答えはわからないので、どなたか教えてください(苦笑)

 

この感情(?)で物事を判断する事は日常的に行っている事だと思います。そして判断した結果が失敗しても成功してもなぜそれを選んだか?という明確な答えがない。

モノづくりをする人が大ブレークした商品について「なぜこのような商品をつくろうと思ったのですか?」という問いに対して「パッっと思いついたんです」なんていう答えもよく聞く。また特定のモノを考えようとしていたわけではないのにお風呂で湯船につかっている時にたまたま、、、トイレでふと、、、なんていう話も良く聞きますね!?

 

この「なんとなく」選んでいる事柄が思いのほか良い方向に流れることがあり、自己啓発本(!?)でもこのようなものがあったりします。

この本で書かれているのは、タイトルにあるとおり初めにぱっと思いついた(感じた)自分なりの答えが自分にとって正しいのだ!という主張です。様々な実験をしてデータを集めた結果、なんとなく選択していることに何らかの正当性がある事が分かった。専門的な言葉では「適応性無意識」と呼ばれる。我々の脳は普段数パーセントしか利用されていないと言われている。意識も同じで無意識での活動が相当な量を占めている。無意識ゆえに理解しようとしてもできないがわからないところ(無意識)でこれまでの経験や情報などを加味した結果「なんとなく」の感覚として出力されているのだろうか。

 

このような偶然の意思決定が良い方向に行くためには何が必要なのでしょうか?

 

これは私の考えですがこの「なんとなく」の判断は自分の脳の中にある多くの情報からきちんと判断されていることであり、それが良い方向に判断されるためにはやはり判断の材料となる多くの知識・経験がないといけないんだと思います。数々の良い品を生み出してきている人や素晴らしいマネージメント能力を持った人たちがなんとなくと言っているのは自分自身では何となくかもしれませんがそれまでに人並み以上の努力があり結果として意識して判断しなくても良い状態になっているだけなのではないでしょうか?

 

この考え方があてはまるのであれば、このなんとなくの判断を仕事に活かしたいと考えた時、自分の仕事の経験や知識を豊富に仕入れるだけでなく周辺のある意味無駄とも思える事も経験する事が大切であり、普段の何気ない会話の中にも注意を払っていくと言ったことが必要なのでしょう。昔の人は言いました「何事も経験だ」。現代において効率が優先されるゆえこの無駄な経験をせずにすごしていることで人間の持っている未知なる感覚を使いこなせる人が減っていくかもしれない。

 

かの有名なアインシュタインも

「私はまず感情のレベルで物事を受け取る」

と直観を大切にしていたことがわかります。

 

しかし仕事の場合、決断の結果が「なぜ?」なのかを追求しなければいけない事もあります。決断の経緯に信憑性が必要だからです。

 

なんとなくってとても信憑性がないように思えますが、判断の初期には大切なことなのかもしれませんね。

 

 

 

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